言葉少なくても、愛だとか

ファンサの定義ってなんだろうね?

っていきなりなんだよって話なんだけど、まあその辺はスルーしてくれていいんだけど。

ふとした瞬間にりょうくんのことを考える癖のあるわたしがまたふと考え込んでしまった訳です。

 

りょうくんのファンに対する思いって今までだって色んなところにあったんじゃないかなとふと思ったのがきっかけでまたダラダラと考えていた。

今まではグループ全体からの愛として受け取っていたけれど、その中にもりょうくんからの愛もきっとたくさんあったんだろうなと今更ながら気付く。

もちろんりょうくんからの言葉で受け取れるものもたくさんあったし愛されてなかったとかそれに気付いてなかったって話ではないんけど、それはきっとわたしが思っている以上に色んな場面でそれは存在していたんじゃないかと、愛の深さを思ったのです。

わたしは溢さず受け取っていたのだろうか?と自分に問いかけてみたけれど思い返しても長い年月過ぎてよくわからないのが正直なところ。

 

もちろんこちらが気付かないものが多くあって当たり前ではあるけど、それだけさりげなく、道の片隅にそっと咲く花のように、ひっそりと花を開いていたのかもしれない。

力強く、雨にも風にも負けずに、気付いてくれるはずの”誰か”のために。

 

言葉少ない彼の彼なりの愛を今直接受け取っている者として改めて考えてみると、きっと気付かないものの方が多かったんだろうなと思う。

 

一生懸命知らぬ間に素知らぬ顔で、健気でいじらしいというか。気付いた人にとってはそれはそれは綺麗に咲き誇りずっと胸に残るものだったのかもしれない。それほど、さりげなく、かつ強く。

 

だからこそ多くの人が彼に魅了され続けているのではないだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おれ全部応えてるで」

 

十五祭のいつだったかのMCでファンサどうしてる?って内容で聞かれたりょうくんが答えたこの言葉に、客席からはええー?って声が漏れていた。それに「え?」ってファンの反応に驚く姿もかわいかったんだけど、実際ファンサあんましないよなって思ってた(ていうか広範囲にお手ふりはしてた)(たまに強烈ウィンク)

りょうくんに関してはわたし自身が笑顔で楽しそうにステージに立っててくれるだけでファンサだと思ってるところがあったからその流れにクスッと笑ってた、んだけど。

 

グループから離れて活動し始めた今、あの言葉は真実だったのかもって思い始めた。

コンサートでうちわに応えることだけがファンサの定義ではないはずだ。

それぞれにとってのファンサなるものの定義があるはずで、りょうくんの場合はきっとファンに対してまっすぐに活動をするだとか自分が誇れる仕事をすることだとかりょうくんなりの誠意というか考えがあるのかも知れない。

 

本人じゃないから決めつけはしてはいけないけれど、ファンがこの数日間で”愛されてる”とか”大事にされてる”と思ったことが何よりの答えじゃないかとストンと腑に落ちたような気がした。

 

※あくまでわたしの主観です

 

 

 

 

これから先どんな未来があるかわからないけど、りょうくんとりょうくんのファンとで笑って乗り越えていきたい。

予想外なこともあるかもしれないって言ってくれて、そこでやっぱり笑って乗り越えたいって言ってくれるのがわたしのすきな人だなって思います。

 

りょうくんからの愛も思いも全部受け取っていきたいと改めて気合いが入るんだゼ。

 

 

 

まあ、愛されてるって烏滸がましいにも程があるのですが、でも、ねえ?

 

愛されてるやろ!!

って都合よく思うのもファンの特権やろ!って思うのでそれはもうちゃんと受け取りますよ。

りょうくんにはりょうくんが思うファンサをこれからもよろしくお願いしたい所存。

 

 

さて。書いたらスッキリしたから昨日のFC動画もう一回見てこよ〜

 

皆さん台風気をつけててね!!

ライブあるから!!いのち大事に生きて帰還するんやで!!